キリマンジャロ登山

タンザニアどうでしょう 第21夜

2014年8月6日~8月18日のタンザニアぶらり登山&サファリ旅の記。
将来、歳喰った時の為の備忘録としてココに記す。
 
【前夜までの「タンどう」】
8/7夕方。成田を発ち、約24時間を経て、遂にタンザニア・キリマンジャロ国際空港に到着したおいら。空港で迎えてくれた車に乗り、本日のお宿「KEYS HOTEL」へ向かうのだった。

 
8/7 PM16:00
 
ホテルのあるモシまでは、車で2時間弱。
 
キリマンジャロ南麓にある人口20万に満たないこの都市は、キリマンジャロ登山の基点の街として有名。アフリカといえども、海抜1000m弱の土地ゆえ。訪れた乾期の8月は、気温は最高でも25℃をいったりきたり。
 
 
「うーん、日本の夏の一番良いとき。まるで北海道にでも居るような感覚だなぁ。」
 
 

 
 
空港を出た車。
車窓には早速、左右見事に畑しか見られない景色が延々と続く。
 
進行方向左には、山頂を雲に覆われたキリマンジャロ山麓が彼方遠くに見える。
 
 
 
「山頂は見えないけれど。。山裾だけで一体、どんだけ左から右に長いんだぁ!!」
 
 
東海道新幹線の車窓から見られる富士山は、眼球を動かさなくともその全容が網膜に映る。
しかし、今。目の前にあるキリマンジャロは。
眼球だけじゃなし、首までも使わないとその全貌をつかむことはできない。
 
 
「一体、どれだけデッカいんだか。。。」
 
 
5895m。
  
富士山の上に、北海道の事実上の最高峰・旭岳を1個追加した位の高さ。
 
 
 
物言わぬ巨大な風景。
明日の朝には、その麓から山頂を目指して歩き出す我々。ちょっと信じられない気分に包まれた。
 
 
 
 
…。
 
 
 
ぶぉー。
 
 
モシを目指し、傾き始めた陽の光を浴びながら思いっきりのスピードで飛ばす車。
 
 
飛行機では別々の座席に座っていたこともあり。
ドーハで合流した大阪からの参加者とも揃って会話を交わし始めるのはココが最初。これから一週間に渡って共に歩く7人のキリ仲間たち。
 
 
他人の名前と顔を覚えるのがめっぽう苦手な自分に取っては緊張の時。
一体誰が菊千代で、誰が島田勘兵衛なのか、、、(古いか。。笑)
 
 
 
東京組は、おいらを含めて計3人。流石にこのメンバーの名前は覚えているものの。
大阪組の参加者は全部で4名。
うち二人は、一年前のマレーシア・キナバル山にもご一緒した方々。とはいえ、あれ以来の約一年ぶりの再会。見覚えはモチロンあるものの、お名前などはほとんど忘却の彼方。。。
 
 
予め配られていた参加者名簿というカンペを用いて暗記する。Iさんでしょ、Kさんでしょ、Tさんでしょ、Yさんでしょ。。。
 
 
一体誰がIさんで、Kさんだったのか?
四人程度なのに間違えたら失礼だよなぁ、、、流石に。脳内で密かに繰り返すお名前。繰り返すそばから忘れていく。。。
 
 
 
 
自分(心の声)「そーいえば、登山中のガイドは4人だっけか。。。しかも、登山者一人につくポーターが全部で3人。…ということは、ポーターさんだけで、さんしち。。21名!? 他にもコックさんも居るとかいないとか。。。全くもって、下山までに全員の名前と顔を一致させられる自信がないんですけど!!」
 
 
旅の行く末を憂い、もう車内で一人で大パニック。。。
 
 
 
……。
 
  
 
「まー、誰かが呼ぶ名前を盗み聞きして覚えよう!」
 
 
 
 
 
結局、気を取り直して車窓を覗いてみると、いつの間にかモシの街に入ったようだった。
 
 
誰かが(笑)、叫ぶ!
 
「あっ!あれ、キリマンジャロ見えてない??」
 

 
 
雲の切れ間。青空の向こう側。
我々にとって、地上から見る初めてのキリマンジャロ山頂。
 
 
やがてすぐ雲に隠れてしまったものの。
あまりの近さ、そしてあまりの迫力に圧倒されてしまう!!
 
 
 
 
ホントウニ、アンナテッペンマデ、歩いてイケルノカシラ??
 
 


 
さらに傾いた陽の光。
街を赤く染め出す頃。
 
夕方18時。
ようやくホテルに到着した。
 
 
 

 
 
 
荷物を下ろして貰っているあいだに見つけたキリマンジャロの衛星写真。
 
流石、世界一高い独立峰。
写真だけを見てても、何だか圧倒。
 
 
ホントウニ、シロウトガ、登ってイイモンナノ?
 
 

  
 
 

 
 
 
なんせ、成田から26時間を経て到着したホテル。
とりあえずシャワーを浴びる時間を貰って、19:30から夕食と翌日に向けたミーティングを行うことに。
 
 
 
いよいよ。
ええ、いよいよです!
 
 
そして第22夜へ!

 

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