エジプト旅

エジプトどうでしょう 最終夜 〜青山あり〜

大学院2年生だった2007年8月末。
徐に思いつき、一人で向かったエジプトの旅日記。

帰国後、mixi上に書き溜めた未完の旅行記を完結すべく、一先ず公開済み記事を誤記脱字以外はそのままの姿でリターンズしてみる!

※古い話題が随所にありますが、2007年執筆当時のママにお送りしております 笑

2007年8月27日~9月3日のエジプトぶらり一人旅の記
将来、歳喰った時の為の備忘録としてココに記す。

かれこれ7年前。
学生生活最後の夏休みに訪れたエジプト。
一週間の一人旅。

当時は最初、ロシアに行こうと思っていたものの。
修論研究を抱えながらのビザ申請やら招聘状の準備が、
色々と面倒だと言うことで、結局エジプトへ。

そして7年後の先月、2014年5月末。
勤め先の出張だったとは言え、
念願だったロシアへ行くことに。

ほとんど観光なんて出来なかったロシアだったけど、
まさか7年前の願いが、こんなところで叶うとは。

しかも、ここだけの話。
(大げさだけども)子供の頃からの夢だった、
「木洩れ日の中、ハンモックに揺られて本を読む」
を実現できたのでした 笑

ロシアを諦めて行ったエジプト一人旅から7年後の今年。
ふと思い立ち、FBにこの旅行記の続きを書き始めたのは、
決して偶然だったわけではないのかもしれない。。。?

そしてエジプト旅行、実質最終日の六日目。

館内写真撮影禁止の考古学博物館では。
ツタンカーメンの黄金のマスクを充分に堪能した後、
冷房が充分効いていない館内を色々と見て回った。

その後、カイロ市内を色々と歩いて回り、
宿に戻って帰国の準備をした。

その日も同室には同年代の若者。
誘われるまま夜も市内に繰り出し、
屋台でアイスクリームなど食べつつ過ごす。。

…。

翌9月3日。
とうとう帰国の朝を迎えた。

お世話になった宿・ペンションさくらのオーナーに別れを告げ、
幾度となく歩いた道を歩いてバスターミナルへ向かう。

すっかりマスターしたアラビアの数字。
今度は誰に聞くでもなく、自分で空港行きのバスを見つけ乗り込んだ。

ああ、思い出すのは初日のピラミッド。
そして旅の一番の思い出、
360度ぐるり地平線に沈む夕日と登る朝日。

初めてのアフリカ大陸。そして初めて見る砂漠。

目の前に映るバスターミナルの雑踏の中。
色々な風景、様々の出会い、偶然なご縁が思い出される。

人なつっこい笑顔が素敵だった砂漠キャンプのガイドさん。
電車で出逢ったエジプト軍の兵士さん、そして市井の人々。
アレキサンドリアでバス代をおごってくれたエジプト人。
そして、ニッポン大好きな宿のオーナーエザットさん。



同じ時間の流れの中でも、
人の道は無数にありますが。

偶然交わったエジプトでのこのご縁。
7年後の今も、自分の心の中にはしっかりと。

この旅行記の続きを書いてみて、気付いたのは。
それらの出来事、昨日のコトのように、
今でも開く記憶の引き出しに止まったままのようでした。

日本に住んでいるとなかなか感じられない感覚。
世界は日本だけではないという実感。

エジプトの。地球の裏側の非日常で日本ではない空気を肌で感じ。
違和感たっぷりの馴染めない世界。あり得ない出来事。

帰国して「やっぱり日本が一番イイなぁ〜」と思った当時。
海外旅行は、やはり一歩敷居の高いイベントではあった。

7年前の旅を思い起こして今を振り返ると。
海外はそれほど遠い世界ではないという実感。
当時の世界の外へ、一歩も二歩も歩き出している実感。

「この7年で成長はしているのかな」

目の前にあるモノを。
ありのまま受け止めるかではなく、どう見るか。
知ろうとし、考え、そして自分がどう思うのか。

自分が見たい世界を見に行きたい。
人間到る処青山あり。

これからも。
自分の世界の外へ、出掛けていこうと思うのでした。

バスターミナルを出発した、空港行きのバス。
ふと窓の外を見ると、ピンクのTシャツを着た若き女性が目に飛び込む。

よくよく見ると。
彼女のTシャツにはこう書かれていた。それも日本語で。

『マジでパンクなロック娘』

。。。そ、そうなんですね、貴女はwww

地球の裏側で。
ここまで日本語が愛されていることを深く実感しつつ。
鮭おにぎりが機内食に出るエジプト航空にて帰路についたのだった。

     【完】 
ご愛読ありがとうございました。

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