エジプト旅

エジプトどうでしょう 第47夜 〜放浪〜

大学院2年生だった2007年8月末。
徐に思いつき、一人で向かったエジプトの旅日記。

帰国後、mixi上に書き溜めた未完の旅行記を完結すべく、一先ず公開済み記事を誤記脱字以外はそのままの姿でリターンズしてみる!

※古い話題が随所にありますが、2007年執筆当時のママにお送りしております 笑

2007年8月27日~9月3日のエジプトぶらり一人旅の記
将来、歳喰った時の為の備忘録としてココに記す。

前夜までの「エジどう」→

エジプト観光第1日目は、あの三大ピラミッド群と初対面。
翌日、念願の砂漠de満点星見キャンプをするため、
カイロ西方白砂漠に到着し、無音の砂漠を堪能。
翌朝、必ず再度の訪問を誓い、キャンプ地を後に。夜、カイロへ戻る。
観光第4日目昼、セルビスを乗り継ぎ、エジプト第二の都市アレキサンドリアへ到着した。

もはや「週刊エジプトどうでしょう」と化している更新ペースですが、
完結するまでなんとしても続けます!笑

…。

ばかでかいアレキサンドリア図書館を後にしたおいらは、
少しは暑さの和らいだ海岸沿いを、ブラブラとあてもなく歩き始めた。

時刻はそろそろ太陽が沈む頃。
一昨日、白砂漠の地平線で見送った夕日を今度は水平線の彼方に見送る。

周囲には、自分と同じように。
夕暮れの光を浴びた釣り人がマッタリとした時間を過ごしている。

海岸沿いはある程度広い道路ではあるものの、
それほどの交通量も無く静かに。
昼間の賑やかさは、どこかに忘れ去られたかのよう。

いや、もう7年も前だと。
このあと何をしたのか記憶が定かでは無いのですが。

残された写真を見返すと、
どうやらスーパーで買った缶ビールとポテチで一杯やったようです 笑
証拠写真↓

そうこうしているうち、
昼間の疲れも手伝って気持ちよく夢の中へ。

翌朝。2007年9月1日。
旅も後半を折り返し、既に帰国二日前。

もうちょっとアレキの街中をイロイロと見て回りたい気持ちもあったが、
午前中にはカイロへの帰路につこうと考えていた。

カイロからアレキへは乗り合いバス・セルビスを利用したもんで、
復路はエジプトの電車に乗ってみようと思っていたのだ。

ただ、当時はスマホなんてメジャーなモノは無く。
一体、何時の電車があるのか知る由も無く。
ってか、そもそもカイロまでの電車があるのかさえ知らず(^_^;)
(…流石にエジプト第1と第2の都市を結ぶ便が無いわけは無いが。。)

とにかく今日は。
アレキで絶対見ておきたいところをビシッと見に行き、
とっとと駅に向かおうと考えていた。

時刻にして8:30頃。
チェックアウトをお願いすると、
フロントマン曰く。

「ってか、メシ喰ってくか?」

。。。

「あっ、じゃあ戴いていきます!」

予想外のお申し出に、急ぐココロを押さえつつも。
フロント前の、窓からの眺めがいい食堂へ通される。

食堂では既に、初老の白人男性が紳士な雰囲気で一人座っていた。

何となくの微妙な距離感を保ちつつ、
彼の近くにあるテーブルに座ってみる。

何となくこちらに話しかけたそうな雰囲気だったからだ。

予想通り話しかけられた!笑

「お若い方、どちらからお越しかな?」

「えー、じゃぱんです!貴方はどちらかですか??」

…。

詳しい会話の内容はすっかり忘れてしまったけれども。
この初老の男性はオーストラリアから来た方だった。

本人の談によると、なんでも、TVでコメディアンの仕事をしていて、
プライベートで5ヶ月かけて海外のいろいろな土地を回り、
最後に着いたのが、ここアレキサンドリアだったという。

何となくどこからともなく、
加藤登紀子の「時には昔の話を」が流れてきそうな雰囲気が漂いはじめる。

パイプの似合いそうな落ち着いた老紳士。
とてもコメディアンなオーラが感じられない。

少なくともリタイアした後の旅行というわけでは無く、
たまたま休みを取って世界を回っているという話だった。

…へぇー、プライベートで5ヶ月も旅行できるなんて凄いなぁ!羨ましい!

そんなことを感じているうち、
食堂にはリビアからきたと名乗る青年をはじめ、
人数も増えて賑やかに為ってきた。

時間も9時を回ろうかという頃。

その老紳士に別れを告げ、
旅行荷物一式を持って、朝のアレキサンドリアの街に繰り出したのだ。

第48夜へつづくっ!!

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