2014年8月6日~8月18日のぶらりキリマンジャロ登山&サファリ旅の記。将来、歳喰った時の為の備忘録としてココに記す。
【前夜までの「タンどう」】
登山DAY6。現地時間の8/13。山頂ウフルピークに至った我々一行は、高山病を避けるためにも短時間の滞在で一気に下山。アタック直前のキャンプ地・バラフを経て、キリマンジャロ山中の最後のキャンプ地ムウェカへと向かうのだった。
空が徐々に薄いパステルブルーに染まった午前7時前。
名残を惜しみながらも山頂を後にした我々は、深夜の極寒暴風の中に6時間をかけて登った1,300mの高度をまずは一気に下り始める。
山頂までは、高度順応を含めて6日間も要しているのに対して、下山は今晩一泊を経た翌日昼の予定。。。
今日は、アタック前に居たバラフキャンプまで下りて休憩をとった後、さらに5〜6時間をかけて一気にムウェカキャンプを目指すのだ。深夜のアタック開始から数えて、実に12時間以上も歩きっぱなしの日程だった。。。
下山を始めてまもなくすると。先行してキャンプ地を出発し、途中で我々が追い抜いていた先発隊のメンバ Yさんが山頂へ向かうところとすれ違う。
お互いの健闘をたたえ合い、あと少しで最高峰に至るYさんと熱い握手を交わした。
先発隊の他の2人のメンバは。惜しくも山頂ピークまでは到達できなかったものの、登頂証明書が貰える、山頂手前のステラポイントには到達できていて、一足先に下山を始めていたとのこと。
我々後発隊3人とガイドのアロンも。やがてそのステラポイントまで戻り、さらに一気にバラフキャンプ地を目指すのだった。
太陽は既に目線の上にまで登っており。眼前彼方どこまでも広がっていた雲海の風景は、朝の光を浴びて、気が付けばいつの間にかその姿を消していた。
そして、山頂から約1時間半が過ぎた午前8時過ぎ。アタック前の最終キャンプ地であるバラフキャンプに戻ってきた。…なんと、深夜に6時間かけて登った山頂までの道程を、たった2時間もかけずに戻るという 笑
キャンプ地で休憩すること一時間。先発隊のメンバもキャンプ地に全員戻り、荷物の整理が出来た午前9時過ぎ。朝日を浴びたキリマンジャロ山頂に別れを告げ、我々TEAM PEPEPEは下山の途についた。
「ほんの3時間前、、、あのテッペンに、おいら居たんだよなぁ。。。」
酸素が薄かったせいなのか。。。既にもう、その記憶は遥か昔のような感覚。
まるで夢のような時間。でも確かに残る達成感。アフリカ大陸のテッペンに立つという目的を実現したという事実は、決して簡単には忘れることのできない自信となる気がしていた。
…。
本日のお宿はムウェカキャンプ。
キリマンジャロ山中の最後の宿である。
高度が下がるにつれ、一気に現れる植物の景色。徐々に現実の世界に引き戻される感覚におそわれるものの、日本では明らかにお目にかかれない種類の木々達の存在は、やはり自分がまだ非日常の世界に居ることを実感させていた。
とにかく長い長い下山道を歩くこと約4時間半。
常に眼下に雲海を望みながら、これほどの時間を歩く経験は日本では無いだけに、どうしたって不思議な感覚に包まれる。13時半すぎ、ムウェカキャンプに到着。深夜0時のアタック開始から、実に13時間以上をかけて辿り着いた最後の宿。
登山開始の六日前の記憶もはるか昔のことのように感じられたけども、確かに歩いた六日間の記憶。久しぶりに緊張から解放され、達成感に包まれながら、夜を迎えたのだった。
…。
登山DAY7。
キリマンジャロ山中最後の日を迎えた朝。慣れたもんで、配られたお湯で顔を洗い、歯を磨き、朝食をいただき、いつも通りの身支度を調えた我々。
さぁ、出発!といった段になって、なにやらガイドとポーター達が、いそいそとした感じで我々の目の前に集合し始めた。
綺麗に並んだ彼らは、イキナリ手拍子をとり始め、歌を唄ってくれた。それは「キリマンジャロソング」のプレゼントだった。
…ま、そーいうサプライズがあるというのは、事前に聞いてて知ってはいたんだけども 笑
でも、やっぱり嬉しかった。
たった2分くらいの唄だったけども、我々の登山を強力にサポートしてくれた、彼らの応援力にひたすら感謝だと思った。
周囲からは、他のパーティのポーター達が唄う声も漏れ聞こえてきてはいたけれど。
自分には目の前にいる彼らの歌声だけが、不思議と一際に胸に響いていたのだった。
第62夜へつづく!