2014年8月6日~8月18日のぶらりキリマンジャロ登山&サファリ旅の記。
将来、歳喰った時の為の備忘録としてココに記す。
【前夜までの「タンどう」】
登山DAY6。現地時間の8/13、アタック開始から一時間が過ぎた深夜1時頃。快晴の真夜中の空は、満月をやや過ぎた明るい光で充ちていた。とはいえ、足下はヘッドライトの灯りが、辛うじて我々の行く先を照らす登山道。寒風吹きさらしの中、ごろごろの岩場をポレポレ歩く後発隊。山頂到着予定時刻は午前6時。まだまだ先は長いのだ。
いろは坂を登るよう。くねくね方向を変えては登って行く我々。
厳冬の東京を思い出させる空気の中で。ゆっくりと、一歩一歩を踏みしめながら。
例えるならそう。大晦日から日付が変わった瞬間0時00分。蛍の光の余韻に浸っていたNHK総合チャンネルから響く鐘の音に誘われ。何処か名高い神社の参拝客らが、厳かな心持ちで参道を踏みしめながら歩みを進めている感じの姿。。。?
心の中では、あれやこれの煩悩が浮かんでは消え。浮かんでは消えして登る自分。
「登れるかな?」
「山頂に立てるかな?」
頭の中は雑念のノイズに満たされていて、そして重低音な響きを伴う空気の流れが辺りをものすごいスピードで駆け抜けていくのを身体に感じているのに。
耳に届くは、ただただ厳粛な無音の空気。
これまでの道中。あれだけバカ話をして登っていた仲間だったのに。気付けば皆無言。各自は、自分の世界に深く入り込み、それぞれの山頂を目指して登っているのだった。
最初の一時間は斜度も緩く。
「れ?楽勝か??」
なんて、心の中で冗談を飛ばしつつ。
なんなら唄でも余裕で唄えるくらいに、思いの外に気持ちは軽かった。
しかし。徐々にキツくなる斜度。
それまでは、暗闇にゆれる幾つものヘッドライトの灯りを見つめる余裕があったものの。次第に目線は足下に落ち着き。気付けば、どのくらい進んだかを確かめる為だけに、なんとか意を決し、重い頭をここぞとばかりに持ち上げるのみ。
標高は恐らく4,900m位だったか。キャンプ地から数えて300mの高度を稼いだものの、対する5,895mの頂まではまだまだ遠い。
とはいえ。正直なところ。
日本で読んだキリ登頂者たちの数々のブログ。そこに書かれた正直な感想の言葉達。
「ず、頭痛がぁ…」
「朦朧とする」
「激辛い」
「死にそう」。。。
そんな苦悶の体験談を読んでいたが故に、戦々恐々として登り始めたおいらだったのだが。
確かに寒くてキツい登り坂ではあるが、その時点ではまだまだ平気だったというのが正直な感想。むしろ、急峻な名だたる日本の山々のほうが辛いんじゃないかとも感じてた。
食欲はあるし、意識もしっかりある。事前に読んだブログから想像していたよりかは辛くない。
問題は寒さであった。いつしか強風がさらに激しくなった暗闇の登山道。
熟考を重ねた末の服装のお陰で、身体は特に寒さを感じてはいなかった一方で、手袋をはいてる筈の手は既に悴み始めていて。手袋を脱いで、カメラのシャッターを押すのが躊躇される状況。指がもげるんじゃ無いかとさえ思えていたのだ。
寒さに一抹の不安を感じつつ、やがて最初の小休憩。
軽量化のため、厳選に厳選を重ねた行動食の一つであるアミノバイタル的なゼリーとお湯を口に含み、喉の奥へと流し込む。
休憩とは言え、あまりに長居をすれば身体が冷え体力を奪われかねない。
行動食を胃に収めるやいなや、現地ガイドのアロンがメンバの状況を見極め、すかさず出発の合図を送る。
「行けるかな?」
恐れていた高山病な症状はまだ出ておらず。ゆっくりと歩きさえすれば、それほど苦しくなくも進める感じ。とはいえ、普段の山行スピードで登ろうするには些か辛い。そんな感じ。
ザク。。。はぁ、、。
ザク。。。。。はぁ、、はぁ、、、。
はぁ…ザク。。はぁ。。。。。
…はぁはぁ。。。ザク。。はぁ・・・。
徐々に明らかに。呼吸の間隔が短くなるのを感じる。
緊張のためか、空気が薄い為なのか。次第に身体全体が鼓動を打っていることに気付く自分。
時間の経過を一切忘れ。ただただ一歩。
山頂に到達することさえ今は忘れ。目の前の足下、一歩を踏み出すことだけに集中する自分。
…。
それから暫くした時。聞き慣れた声が耳に届く。
空と山の境界もイマイチ解らない暗闇の中で。我々は幾つかのヘッドライトの灯りに近づきつつあるのに気が付いた。
そう、それは、後発隊より一時間早く出発していたポレポレ先発隊の大阪3人組だったのだ。
これまでの道中の体力具合から。一足先に出発し、ゆっくりと歩いて山頂を目指すことにしたていた先発隊に、我々はどうにかココで追いつくことが出来たのだ。
今となっては、何時頃のことだったのか、記憶にも残っていないが。。というか、腕をまくって時計を見るのも億劫だった記憶がある。。笑
また山頂で会おう!と、キャンプ地で決死の覚悟で別れ、別々に登り始めたチームPEPEPE。
その8人が再び全員揃った喜びを互いに確かめつつも。
なにせこんな状況であるが故に交わす言葉は少なく。お互いの顔を見つめ合い、我々後発隊は、ここからは一足先へ歩みを進めることになった。
…。
高度を稼ぐにつれ、空気が壁のように感じられ。力を持った怒風が前からも横からも、我々後発隊に襲いかかってくる。寒い。
厳冬期な雪山も対応可能な格好をしていたはずなのだが、もはや手足の指先は感覚を失い。
歩みを続けることでどうにか保つ体温のバランスは、ほんの一時でも気を緩めて立ち止まった瞬間、周囲を駆け抜ける台風並みの強い風にいともたやすく崩されてしまいそうな気がしていた。。
そんな矢先のことだった。
おもむろに、おいらの後ろから誰かの叫ぶ声が聞こえてきた。
一瞬、おいらは何が起こったのか分からなかったのだが。
後ろを振り向くと。
それは東京組HAMAさんだった。
後発隊四人組の一番後ろを登っていたHAMAさん。
下山後に聞いた話では、冷えた汗が身体を冷やし、これ以上進むのは厳しいと、自ら撤退の申告をするために上げた声だったとのこと。
苦渋の決断だったと、想像に難くない。一瞬にして突然の出来事。
同行現地ガイド二人のうち一人が付き添い、彼女が下山を始める姿を見送りつつ。
今思い出すと、正直なところ。その時、おいらはもう既に自分のことで一杯一杯で。
ここまで共に歩いた大切なキリ仲間の一人である彼女の事まで、意識は廻っていなかったかもしれない。
ただもう、残念で為らなかったと同時に、次は自分かもという気持ちが頭を過ぎる。
見晴らしのよい急登の中、止まることを忘れた強風に包まれながら。
おいらと、前を歩く2人の後発隊3人は、自分と闘いながら、さらに歩みを続けるのであった。
第58夜へ。