2014年8月6日~8月18日のぶらりキリマンジャロ登山&サファリ旅の記。
将来、歳喰った時の為の備忘録としてココに記す。
【前夜までの「タンどう」】
登山DAY5。8/12。昼過ぎに到着したアタック直前の最終キャンプ地・バラフ。軽めの昼食を済ませた後、マイテントに戻ってアタックに向けた準備を始めるおいら。時間が経つにつれ、徐々に緊張感が半端なく高まる。。。高山病による頭痛を治めるべく薬を飲み、ひとまず夕食まで軽い昼寝をとることに。
時刻は16時半過ぎだったか。
結局眠れず、取り敢えず横になっただけとなった昼寝タイムを過ごし、夕食時間を前にしてマイテントの周囲を散歩してみることにしたおいら。
うだるような暑さの日本の夏からは。
とても想像もできない凍てつく空気の標高4,600m、ここバラフキャンプ。
厚着をしてても寒さに気付くテントの周囲。
そこには多くのテントがあるにもかかわらず。
人の声は耳に届かず、まるで時間が止まったかのような静寂の時間。
山頂に背を向け、ここまで歩いてきた西の麓の方角を眺めると。
湧き登る雲の向こうに、明日に見送った太陽の残光が幻想的に薄空を染めていた。
東の方角はと言うと。
キリマンジャロのもう一つの峰であるマウエンジ峰が、雲海を従え悠然とした姿で佇んでいた。
「静かだな。」
虚を衝いて口に出た一言。
登山開始から気付けば五日目。
道中ココまでの賑やかだった雰囲気は一転。
グンと迫ってくるような、何かモノ寂しい時間に充ち満ちた空気。
我々チームPEPEPE8人の、アタックを直前に控えた最後の数時間。
山頂に到達できなかったらどうしよう。。。
到達目前にして石崎Dモードになってしまったら。。。
アタック中に高山病で緊急下山とかになったらどうしよう。。。
…ひょっとすると命を落とすかもしれない?
そんな不安や恐れ…。
それを招くのは、約3年の準備期間を経て挑む、山頂ウフルピーク到達へ向けた我々の欲望。
しかし、そんなもの。
夜空に輝く億万点の小さな星屑のように。
明日無くなってても決して気付かない、小さな人間のどうでもよい瞬き。
これまで多くのクライマー達の挑戦を受けたキリマンジャロ。
身の程も知らない人間の清濁を併せ呑んだ大いなる度量、その存在感。
嘲笑うわけでもなく。
受け容れるでもない。
ただただ。
キリマンジャロが刻む途方も無い時間の中で。
我々はゆるされ、彼のトキの中に身を委ねているのであろう。
夕闇に沈む直前。
キリマンジャロ山頂をバックに、添乗のマロン隊長に写真を撮っていただく。
この頃は、薬も効いてきたのか、昼寝前の頭痛が殆ど解消されていた。
…。
泣いても笑っても、いよいよアタック開始まで6時間を切った夕方17時半頃。
食堂テントに集まる我々チーム。夕食を取ることに。
アタックへの期待を緊張で幾重にも包んだ空気漂うテントの中。
軽めの夕食であるインスタントラーメンは、その暖かなスープの味さえ分からない。
自分の意思とは関係なく、もうただただ勝手にフォークが動くのに身を任せて食事を取っている。そんな状態。。。。。
「えっとぉ、、、じゃぁ、ここでチーム編成を発表しますね!」
既に現地ガイドとの最終ミーティングを済ませたマロン隊長が、アタック時のチーム編成を発表することに。
ここまで五日間における各メンバの体力状況、登山スピード等々を吟味した結果、7名の参加者全員で一緒にアタックすることを避け、通常スピードで登るチームと、ポレポレゆっくり登るチームの2班に分かれることにしたのだった。
発表の結果、おいらを含む東京組3人と大阪組のKさんが通常スピードチーム。そして、残りの大阪組3人がポレポレチームと相成った。
マロン隊長が出発前のブリーフィングを始める。
「夕食を済ませた後は各自出発まで仮眠を取ることになります。」
「んで、ポレポレ先発隊は23時頃に軽食をとった後、現地ガイド3人と私が付き添って、一足先にアタックを開始することにします」
「後発隊は一時間後の24時頃、チーフガイドのアロンに加えて、今回ガイドで参加していませんが腕っ節のサポートをポーターチームから選抜したので、その2名の付き添いで出発します。」
「だいたい、、そうですねぇ。。。途中で後発隊が先発隊を追い越すことになると思うんですけど、順調なら後発隊は午前6時頃に山頂に着いて、そこでご来光を眺める感じですかね。先発隊はゆっくり登っていくんで、ひょっとしたら途中でご来光と言うことになると思います。」
「ガイドは逐一皆さんの状況を見てくれていますんで、マズいと思えばザックを背負ってくれますし、大船に乗ったつもりで登ってください!」
我々「……了解です。」
言葉少なに返事をする我々 笑
…。
その後、食後直ぐの就寝は高山病の発症を誘発するため、一時間ばかりを食堂テントで過ごすことに。
誰も彼も、やはりというか、なぜか山頂到達についての話題は口にせず。
ただただ目の前に浮かんだたわいの無い話題を交わすのみだった。
ところで。
今回お世話になった旅行社が、足かけ約3年に渡って催行した登山ツアー企画『初心者の方がゼロから始める登山-キリマンジャロ登頂への道』。
約3年に渡り国内登山で訓練したとは言え、初心者の我々7名の、より安全で確実な山行をサポートするため、現地ガイドは通常のツアー以上となる4名が付いていた。しかも、いずれも通常はチーフガイドの重責を担うようなプロ中のプロがサブガイドとして参加しているのだった。
事前の話しでは、万が一にも精根尽き果て、一歩も登れなくなった場合になっても、やおら背負ってでも山頂に連れて行くことも辞さない構えだという、そんな意気込みの頼もしいガイド達。
先発隊においては、3名の登山者にそんな現地ガイドが3名付く。まさにこれ以上無い強力サポートの布陣であった。
現地時間19時頃。
アタック時に持参するお湯を入れておいてもらうため、各自ポーターに水筒を渡し。
その後、仮眠をとるため、各自はそれぞれ自分のテントに戻っていく。
時計の針が一回りした明日の朝、我々は果たして何処にいるのだろうか。。。
不安と共に、アタックを直前に控え、最後の休息の時を迎えるのだった。
第54夜へ!