どうも!
津軽三味線も弾きこなせるサラーリーマンを目指す、りょうた です。
- 毎日の仕事が嫌で嫌で仕方ないサラリーマンで、
- どうにか今の状況から抜け出したいと思っているけど、
- どうしたらいいかわからなくて色々調べている人
今でこそ、楽しく仕事をやってるけど、エンジニアだった頃は、もうもうホント苦痛の毎日でしたねぇ。。。
加えて中途半端にマジメだったもんで、どんなに辛くても、「仕事は苦しくて当たりまえ」なんて思い込んでるフシもあって、根性で毎朝出社の深夜帰宅な日々でした。。
ということで、今回は仕事が辛い毎日を楽しく生きるヒントについて、語ってみたいと思います!
無理してるのは自分だけということを知る
なんというか。
仕事が辛くて、悶々とした毎日を送っていた数年前のこと。
当時の私は、変にマジメなところがあって。
「与えられた仕事に不平不満を言ってはならない」
「仕事は理不尽があって当たりまえ」
「仕事は無理してでも取り組まねばならない」
なんて、思っているトコロがかなりありまして。。。
どんなに辛くても、
どんなに苦しくても、
お給料を戴いている以上、どんな理不尽でやりたくないコトもマジメに無理して取り組まねばならないと思っていました。
はい。
そして、その上。
そんな自分の姿に、ちょっとの格好良ささえ感じていたフシまであったのでした。。。
でもねぇ。ちょっと待てと。
実際、どんなにマジメに自分が無理をしていたって、自分以外の誰もその「無理してる自分」を知る由も無いんですよね。。
どんなに無理していたって、誰も知らない。
誰も知らないなら、全然格好良くは無い。
だって、それは単なる自己満足。
あれ?
無理するの、意味なくね?
そう思った途端、無理することを辞めました。
…実際は、直ぐにスパッと無理を辞められたわけじゃ無いけれど。
少しずつ。
たとえば、それまでどんなに朝辛くても、這いつくばってでも無理して出社をしてました。
が、あるとき無理せず、仮病で休んでみた。
そしたら結果、
たった1日くらい休んでみたって、結局仕事の体勢には大きな影響が無いことを知りました。
そりゃ、何日も連続で休むのはよろしくないかもしれないけれど。
たまの1日、無理せず休んでみても、体勢に影響が無いなら、
別に無理して頑張る必要はないのかもしれないですよね。
苦しんでいるのは自分だけということを知る
毎朝頭痛で、常にドンヨリとしたくらーい気分で会社に通っていたその当時。
周りの同僚は楽しく仕事していたりして。
海外に出張に行けたり、仕事で表彰されたり。。。
そんな中、自分だけは夏季休暇も返上で、昼夜逆転な夜シフトの仕事を担当したりして。。
「自分は、どうせ狭い世界で一生を終えるんだろうな。。」
「自分は、定年まで夏のない人生を送るんだろうな。。」
「自分は、認められず評価もされない仕事に終生従事するんだろうな。。」
なんて、思っているトコロがかなりありまして。。。
息苦しい気分のまま仕事な日々を送るうち、
いつしか思考もネガティブに。
苦しみの日々を送っていました。
しかし。
そんな自分の姿に、ちょっとの格好良ささえ感じていたフシまであったのでした。。。
でもねぇ。ちょっと待てと。
実際、どんなに自分が苦しんでいたって、自分以外の誰もその「苦しんでいる自分」を知る由も無いんですよね。。
どんなに苦しんでいたって、誰も知らない。
誰も知らないなら、全然格好良くは無い。
だって、それは単なる自己満足。
あれ?
苦しむの、意味なくね?
そう思った途端、苦しむことを辞めました。
…実際は、直ぐにスパッと苦しむのを辞められたわけじゃ無いけれど。
少しずつ。
たとえば、だれも評価してくれないけど、
それだけに、もう評価なんてどうでもいいやと思い直してみたり。
たとえば、評価されないならされないなりに、
割り切ってやるべきコトを淡々と熟してやろうと思い直してみたり。
そしたら結果、
やることは同じなので、結局仕事の体勢には大きな影響が無いことを知りました。
そりゃ、やるべきことはきっちりやるべきなんでしょうけど。
周りの評価や、期待に応えることに囚われなくても、体勢に影響が無いなら、
別に苦しんで頑張る必要はないのかもしれないですよね。
我慢しているのは自分だけということを知る
常に開発担当していた製品の不具合対応に追われ、残業・休出に勤しんでいたあの頃。
毎週末も休日出勤で。
どんなに天気が良くって、どんなに行きたいトコロや楽しみたいコトがあったとしても。
不平不満を言わず。
「どうせ自分の人生なんてこんなもんだもんな」
「どうせ定年まで自分の時間は会社に捧げる毎日なんだろうな」
「どうせ自分は人生楽しめない星の下に生まれてるんだ」
なんて、思っているトコロがかなりありまして。。。
どんなに平日残業深夜帰宅で、就業後に何処にも行けず。
休日出勤でやりたいコトもできず、行きたいトコロもいけず。
我慢の日々を送っていました。
そして、その上。
そんな自分の姿に、ちょっとの格好良ささえ感じていたフシまであったのでした。。。
でもねぇ。ちょっと待てと。
実際、どんなに自分が我慢していたって、自分以外の誰もその「我慢している自分」を知る由も無いんですよね。。
どんなに我慢していたって、誰も知らない。
誰も知らないなら、全然格好良くは無い。
だって、それは単なる自己満足。
あれ?
我慢するの、意味なくね?
そう思った途端、我慢することを辞めました。
…実際は、直ぐにスパッと我慢するのを辞められたわけじゃ無いけれど。
少しずつ。
たとえば、休日出勤を命じられても、
思い切って「用事があるから無理です」と言ってみたり。
たとえば、どうしても残業をお願いされそうになっても、
勇気を出して「用事があるから早く帰ります」と言ってみたり。
そしたら結果、
たった1日くらい残業や休出をしなくったって、結局仕事の体勢には大きな影響が無いことを知りました。
そりゃ、やるべき仕事があって、いつまでもやらないのは問題なのかもしれないけれど。
たまの1日、我慢せず、思い切って早く帰ってみて、体勢に影響が無いなら、
別に我慢して頑張る必要はないのかもしれないですよね。
まとめ
ということで、かつて仕事が辛い毎日を過ごした私が、
最終的に思い至った、楽しんで生きるヒント。
- 自分がいくらマジメに無理してても、無理してるのは自分だけということを知る
- 自分がいくら苦しんでも、苦しんでいるのは自分だけということを知る
- 自分がいくら我慢したって、我慢しているのは自分だけということを知る
なんか、も、ね。モノは考えよう。
結局、他人は自分じゃないし、
自分の気持ちは自分にしかわからないし、変えられない。
なんとはなしに、そう思い至った途端、
私は、すこーし気が晴れて、なんだか気持ちも軽くなり。
気が付けば、前より少し楽しく人生を過ごせる様になっていたのでした。